やっかいな流人 あとがき

短編一本目をupさせていただきました。

さて、今回の主役は
鎌倉幕府初代執権の北条時政さんです。

彼は、鎌倉幕府初代将軍の源頼朝の妻北条政子の父親で
頼朝の姻戚になったのを足がかりに幕府での地位を高め
三代将軍源実朝の頃、「執権」に就任して
その後北条一族が幕府の実権を掌握するきっかけを手にすることになります。

さて、その北条時政はどのような家柄に生まれたのかといえば
実はそれ以前のことは全くわかっていません。
まず、時政の父親の名前の候補が複数上がっています。
先祖がどのような経歴であったのかもはっきりわかりません。
ただ、「平直方」という人物の子孫であったらしいということだけはわかっているようです。

で、時政以前の北条氏について色々な説があります。
1.伊豆ではかなりの勢力をもった豪族説
2.動員兵力も少なく、領地も小さい小土豪説。
3.先祖が都の貴族。時政の頃も都のつながりがあってそれなりの勢力をもっていた。
4.北条氏がどのような地位であれ、北条の嫡流は時政とは別系統。時政は庶流。

また、時政の奥さんについても次のような説があります。
1.政子・義時(二代目執権)の母は伊東氏出身。
2.後妻とされている牧の方は平治の乱以前から時政と結婚していた。
牧の方は、平治の乱において頼朝の助命を願った池禅尼の弟の子供。
3.牧の方が池禅尼の姪であるのは事実だが、牧の方が息子政範を産んだ年齢を考えると
平治の乱以前に結婚していた考えるのは無理がある。牧の方は政子より若いのではないか。

というわけで、頼朝挙兵以前の北条氏や時政ことは専門の方の間でも論争の
最中のようでして、はっきりしたころは判らないようです。

で、素人の私が小説もどきを書くのに
北条氏は弱小、牧の方とはまだ結婚していない説を採用させていただきました。

また、頼朝を「大したことのない流人」という扱いで書いています。
頼朝平治の乱において平清盛と戦って敗れた源義朝の嫡子で重要な流人、源氏の本拠坂東に程近い伊豆に流されたのが幸いして平家打倒に成功した、と従来は考えられていました。
でも私は頼朝の伊豆への流刑をそのような解釈で書きませんでした。

なぜそういう風に書いてしまったのかといえば
1.平治の乱は源平の戦いではなく院近臣や天皇親政派などの政争の結果起こったもので
頼朝の父源義朝のこの乱における立場は実は大したことがなかったらしい。
2.東国における源氏の実力も後世考えられているほど強いものでもなかった。
3.都における平清盛の官位・経済力・動員軍事力は、源義朝をはるかに陵駕するもので清盛と義朝の立場は決して対等なものではなく両者の間にはかなりの格差が存在していた。
4.治承寿永の乱(従来源平合戦と呼ばれていたもの)
における頼朝も最初から源氏方の中心人物であったわけではない。各地で割拠した反乱勢力は頼朝の意志とは無関係に独自に挙兵していた。

という、最近の研究の中から出てきた説を採用してそれを少し大げさに解釈して書いてしまったからです。
このあたりに関しましては、長編を書いているほうのブログに色々と書かせていただいておりますので、ご興味がある方には目を通していただければ幸いです。

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Tag : 頼朝 北条 時政 政子 鎌倉 幕府 清盛 治承寿永 平治の乱

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